タロ子の頭の中

音楽と仕事の雑記。

映画「美女と野獣」から考える小出恵介と山本裕典事件

ディズニー不朽の名作の実写版

※映画をすでにご覧になった方向け

 

ベルは変人なのか?

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はじめに流れる朝の風景は

主人公のベルが変人であることを説明する歌詞だが、現代的な視点で見るとベルはまるで変人ではなくただの現代的な女性である。

たしかに時代背景からするに、女性が学問へ文学への興味が高いこと、まさかのドラム式洗濯機のような洗濯方法を開発してしまう天才ぶりはなかなか変人に映るのかもたが。

 

ベルのケとハレ

ベルが文学が好きな理由のひとつに少なからず「見知らぬ世界へ旅立てるから」があると思う

 

ケとハレである

ベルにとって日常の繰り返しからエスケープさせてくれるものは小説でその妄想こそ旅行なのだ

野獣との出会いで、まぁはじめは色々プリプリ怒ってたりしたりしたものの

美しい城、文学、魔法旅行などにワクワクしたのは事実(ベルじゃなくてもドキドキするだろうけど)

その非現実的な状況に野獣への愛情が芽生えるのだけれど

そら芽生えるのだろうよ!!

吊り橋効果だよ!!

/(^o^)\と言いたい。

 

ガストンのケとハレがヤバい説。

魔女は王子の美の概念を懲らしめるために野獣へ変えたのだろうけど

いやまて、そんなことよりガストンのほうがよっぽどヤベェぞ笑。

 

戦争帰りのガストンは力を持て余してる、自身の美しさや力、村人からの尊敬を手にしてなお高みを目指して、美しいベルを欲しそれだけでは飽き足らず、野獣狩りへと走り出すのだが…

 

ガストンの望みはさらなるワクワクなのだ

ベルや王子と変わらない

ベルは小説ちゅー平和的ワクワクで満たされるほうだが、ガストンが求めているのは血

そしてさらなる尊敬

ガストンのほうがよっぽど懲らしめられるべきじゃねーのかおい!

 

 

王子が求めたワクワクは美である

美を求めるのと、血を求めるのは

どっちが罪深いか

ガストンのほうがよっぽどやべぇだろうよ

 

魔女よ、野獣は誰だ

魔女は終始すがたを変えて

王子と村人たちの様子を見ている

魔女の目的が人間に巣食う悪しき感情を凝らして改心させるためだとしたら

とんだ筋違いだぜ!!

 

「美しさは内側に宿る」が

この映画の主題だとするとそれは違うぞとツッコミたい

 

人に悪しき感情が芽生えるとしたら

それは本人のせいでもあるけど

環境が作り出した悪魔とも言える

残念だけどイケメンでお金もある王子が

調子こくのは当然の流れともいえません?

 

美女ハントしたいじゃない

小出恵介山本裕典の事件は世間を揺るがしたけど

彼が自身のイケメンを理解して女を食いまくるのは当然の流れではないだろうか

 

この世にイケメンとして生を受け、それだけに甘んじることなく

真剣に演技と向き合い実力を高め、あの地位を手に入れたのだ

そりゃあご褒美(女遊び)も欲しくなるよ。

 

ガストンも同じだ。国のため(かどうかは怪しいけど)

戦争に命をかけたんだし、村人から尊敬されるのは当たり前

村一番の美女をゲットするのは当たり前

そう!当たり前なのだ!

そして平和な世に退屈を蹴散らしてくれる野獣の存在!これは殺すしかない!

村を危険に晒すやつは精神病院に打ち込め!

俺こそ正義だ!!!

 

ワクワクを追い求めた熱狂の奥には

皆等しく悪魔が宿る

自分の頭で考えてその目で真実を見極めることを諦めた大衆は熱狂の渦に逆らえない

正義が我にありと思えば

人は簡単に殺人すら犯す

冷静にみたらそれは過剰防衛か過失致死か。

 

悪いのは誰?

懲らしめるべきなのは誰?

魔女さんは何が見たかったの

何を伝えたかったの